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「YWP 歴史
ギャラリー設立プロジェクト」

YAYASAN WARGA PERSAHABATAN

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 プロジェクト概要

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背景

        第二次大戦で日本が敗戦した後、インドネシアに残留し、インドネシア独立のために戦った約1000名の「元残留日本兵」の最後の一人小野盛(おの さかり。インドネシア名 Rachmat)氏が 2014年8月25日に逝去されました。

      小野氏を含む、約1000名の残留日本兵の内、534名が戦死や行方不明となり、324名はインドネシア国籍を取得して永住を選択、45名は日本への帰国を果たしたとされています。インドネシアに残った残留兵は日本においては脱走兵となり、インドネシアでは無国籍扱いとされ、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。1979年に福祉友の会「Yayasan Warga Persahabatan」が設立され、元残留日本兵の連携や支援に乗り出すようになり、よう やく独立後50年が経過した1995年にその存在が公に認められるようになりましたが先の小 野氏の逝去後、すでに6年が経過し、75年前のインドネシア独立に寄与し、その後のインド ネシア・日本交流の礎となった残留日本兵の歴史を継承する活動は縮小しています。

取組

  2021年にインドネシアは独立76周年を迎ました。毎年8月17日の独立記念式典はインドネ シア各地で各種の行事が行われ、インドネシアの独立を盛大に祝います。一方インドネシ ア国民が総出で祝うこのインドネシア独立の過程に、残留日本人兵がいたという事実につ いてはインドネシア人、日本人の双方においてその記憶が風化していることは否定できま せん。

     インドネシア独立の過程に残留日本兵が関与したこと、彼らがその後の日・インドネシ アの経済交流・文化交流の一翼を担ったことは紛れもない事実であり、その礎があっ てこそ、現在のインドネシア・日本関係があります。   
     国際化が進む今日にあっても、インドネシア・日本両国の歴史に学ぶ「姿勢」は友好 関係、平和を維持する普遍的・不可欠な要素であり、現在、そしてこれからもインドネ シア・日本両国関係にかかわるインドネシア人、日本人、残留日本兵子孫を含む日系 人にとって不可欠なものと考えます。
     特に今インドネシア・日本両国関係に様々な面で関与している私たちにとって、残 留日本兵とその家族・子弟のこれまでの歴史を後世に伝え、次の世代の人たちによる 両国関係の構築に協力していくことは我々にとっての責務と考えます。そのための一 つの形として、私たちは残留日本兵とその子弟の歴史を形に残す活動を行うこととし ました。  

基本方針

インドネシア残留日本兵の歴史を出発点に、過去・現在・未来へと続く、インドネシア、日 本の友好関係の足跡の記録・未来への道筋(轍・わだち)をつくる。

活動骨子

  1. インドネシア・日本の協力者と連携する事により、残留日本兵およびその子弟、福祉友 の会、ミエ学園の事実を記録、紹介する。

  2. 1)の活動を出発点に、日本人と日系人、およびインドネシア人と更なる交流を深める機
    会を継続的につくる。

プロジェクト呼称について

このプロジェクトを進める当たり現在の「福祉友の会」では背景が直ぐに理解できないと思 われるので、呼称を「インドネシア残留日本兵歴史ギャラリー」とします。

具体案

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3F 教育・交流 
未来フロアー

3F 残留日本兵3世、4世世代の交流支援、日 系企業・個人との交流支援拠点として利用。

2F 記憶
展示フロアー

2F インドネシア残留日本兵の50年の歴史とそ れを支え続けた福祉友の会、ミエ学園の活動 資料を、このフロアーに展示。多くの日本人・ インドネシア人に理解して頂く。(プロジェクトの中心)

1F 交流
導入フロアー

1F インドネシア残留日本兵資料館の導入部として機能。またさまざまな世代の交流の窓 口の機能を持たせる。(交流サロン、パンフレット、紹介映像の放映)

改装イメージ

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一階レイアウト

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